TEam leader

Michiyo Kondo
踊り子からチームリーダーへ
日韓大学生合同チームJaparean
初代リーダー 近藤 倫代
2001年春、3年の社会人経験を経て高知女子大(現高知県立大学)3年生に編入した私は、早速、担当ゼミの玉里先生の研究室を訪ねました。その時に玉里先生からよさこい鳴子踊りの経験を聞かれ、「就学前から毎年踊っていますけど…」と答えると、その場で高知県職員提案事業として採択された「日韓よさこい交流事業」のスタッフに勧められ、快諾すると、数週間後にはスタッフのリーダーになっていました。
結局、卒業までの2年間、韓国で「第1回韓・日学生祝祭」を成功させたり、韓国の大学生踊り子30人を受入れてよさこい祭りに参加したりと、日韓大学生合同チームJapareanの初代リーダーを務め、8回も訪韓することになるとは夢にも思いませんでした。今思えば、よさこいチーム作りの経験ゼロの私が数か月で日韓大学生合同チームを結成してよさこい祭りに出場するというのは、あまりにも無謀な話でした。
スタッフの役割は多岐にわたります。韓国から参加する大学生踊り子の宿泊所として空きアパートを借り上げたり、地方車や音響設備、楽曲や振付、衣装デザインや縫製、競演場の場所取りや救護係、弁当やドリンクを手配したりと裏方スタッフの運営にも関わらなければなりません。いまでも覚えている当時のスタッフの言葉は、「やばい、やばい、時間がない」です。
高知県職員提案事業として大学が獲得した予算は400万円でした。当時は、必要な総事業費やその細目を、誰も知りませんでした。スタッフ打ち合わせの訪韓経費に、踊り子を移動させるバス、地方車として使うトラックや付属設備(スピーカーや発電機、ライト、装飾など)の借り上げ経費、洗濯や韓国の大学生が使う布団のレンタル料、保険料や様々な雑費を加えると、あと数百万円の経費が不足していることがわかってきました。踊り子の参加料や3日間のイベントでの売り上げのほか、在日韓国系企業への奉加帳協力を含め、今でいうクラウドファンディングで300万円くらい集めて、最終的には700万円くらいの事業費になったと思います。
私がチームリーダーとして成功したのは、社会人経験を経た大学編入生であったことに加え、私を引き立ててくれた恩師玉里先生との出会いがあってのことだと思っています。私はリーダーとして、「交渉力」を学び、チームをサポートする楽しさを覚えました。その後、私のよさこい人生は、踊り子としてよりもチームを裏方として支えるリーダーとなっていきました。

Hitoshi Tatemichi
よさこいは地域振興のベストツール
梼原町よさこいチーム「梼原」
チームリーダー 立道 斉
よさこいチーム「梼原」は2003年に梼原町で結成されチームです。初めてよさこい祭りに参加したのは2003年の第50回大会でした。当時の梼原町(人口4300人)は、過疎と高齢化が進み、経済も低迷していたこともあり、若者が町に誇りを持てないという「心の過疎化」が深刻な問題でした。そこで青年団からの提案で、「梼原の宝を取り入れながら、世代を超えて、みんなが楽しく交流ができるもよさこい祭りに出よう」ということになりました。よさこい祭りは、誰でも参加できる形にとらわれない自由なお祭りで、見ている人も楽しく、テレビでも放送されるので、高齢の町民にも見てもらえるというメリットがありました。
5月に、商工会や町民(高齢者、子供、生徒、PTA)、森林組合や町外在住の人からなる実行委員会を結成しました。町の子どもは、もともとシャイな子供が多く、踊り子の確保が大変でした。さらに、よさこい祭りにチームが参加するためには多額の資金が必要でした。1000人以上の方からご寄付をいただき、約500万円の資金を調達することができました。
チームの危機は毎年のようにありましたが、一番の危機は2年連続「地区競演場連合会奨励賞」を受賞したときでした。受賞チームを目指すとなれば、必然的に踊りの精度とレベルが上がります。それは同時に、お祭りに参加したい町内の子どもの参加ハードルを高くしてしまいました。また、一番大変な資金調達を梼原町で行うことを考えれば、やはり梼原町の住民を優先したい。そんな課題と思いが交錯する中、リーダーとして一年中、寄付金集めに奔走していたように思います。幸い2017年からは、「梼原」の運営を梼原町が責任を持つことになり、資金調達面では楽になりました。
今思えば不思議なことですが、苦しい時にはいつも「助けてくれる人」が出てきました。2年目から総合的なアドバイスや人の紹介を杉本貴美さんに、また、振り付けを時久紀恵さんに、3年目から楽曲を三谷章一さんに、その後、地方車のデザインを小原さんに、また、チームのコーディネートを近藤倫代さんに教えていただきました。みなさん、「梼原」の地域の取り組みに共感して、「梼原」の良さを引き出してくれた方々です。
私は青年団で「思い」の大切さを先輩から学びました。なので「梼原」は、踊子やスタッフだけではく、ご寄付をいただいた方々を含め地域の人々の梼原町への思いと一緒にあるよさこいチームだと思っています。

Michiyo Kondo
高校生受賞チームの誕生
高知中央高校『桜』
初代リーダー 近藤 倫代
2004年春、高知中央高校に入職すると同時に、経験したことのないYOSAKOIミッションを拝命しました。内容は、「学校が、一流の衣装、音楽、振り付け、地方車を用意するので、今からよさこいチームを作って、夏のよさこい祭りに出場して入賞する」というものでした。すべてを一から作り上げた大学時代のよさこいチームリーダーとは違って、私の役割は、「100人の踊り子を集めて、チームをどのように演出していくのか」というものでした。
初夏に入り、部活動している生徒を一人ひとり集め、最後は教員やインストラクターを入れてなんとか100人集まりました。踊って、弾けて、みんなが楽しければ良かった大学チームとは違い、今回は地区競演場連合会奨励賞(新人賞)受賞が命題です。運営者側の立場から受賞戦略を立てました。よさこい大賞や金賞、銀賞は、テレビ放送される追手筋競演上での一発審査で決まるのに対し、地区競演場連合会奨励賞は、10競演会場すべての審査会場の合計点で決まります。つまり、二日間で2回、全10会場で踊るチームが得点できるルールです。審査の締め切り時間である二日目の夕方5時まで、各競演上の混雑情報を駆使しながらできるだけ多くの会場を回り、チームを鼓舞しながら笑顔で演舞しました。
高知中央高校よさこいチーム『桜』は、私が初代チームリーダーに就任してから退職するまでの6年間、連続して地区競演場連合会奨励賞を受賞しました。学生連が連続受賞することは不可能だと言われている地区競演場連合会奨励賞を6年連続受賞することができたことは、私の教員生活とよさこい人生の一つの集大成でした。
「本当の自信は、経験と準備からくる」と言われますが、私たちは日ごろから老健施設や小さなイベント会場で踊り子の経験を積み重ね、チームとしての準備をしていました。その上で情報戦略を駆使し、審査基準や会場の混雑情報を入手し、総合力を高めました。そこには、踊り子を卒業して、地方車とともに踊り子と対面しながらチームを統率する新しい自分の姿がありました。
今は新潟に住んでいますが、新潟の「YOSAKOI」は、よさこいソーランがポピュラーで、中には鳴子を持たない「YOSAKOI」もあります。また、私が高校生や大学生チームを引っ張っていた2000年代とは、時代も子供の環境も違います。なので、新潟の「YOSAKOI」の現実を受け入れながら、高知のよさこい鳴子踊りをツールとして、青少年の人材育成をしたいと思っています。